峰があるようなないような、なだらかな山が石城山です。別名「西の富士」といわれています。東の富士は富士山ですね!名前も凄い!ですね~。パワーのある証です。\(^o^)/
標高362m。頂上には石城神社、神道天行居の日本神社などがあります。
左側の大きな白い建物は天照皇大神宮教(通称;踊る神様)の道場です。右側のとがった山は行者山、頂上には役の行者の祠があります。
この山の麓に見える宅地部分は毛利氏時代に埋め立てされたのです。以前は海でしたから多くの船が往来していたことでしょう。地域名も塩田、瀬戸、波野などといいます。
昔話 私自身の真実;行者山を東南側から見ています。オレンジ色の葉巻型の未確認飛行物体が突然ぼこっと現れて、音もなく山に吸い込まれていくのでした。
この山の裏側に石城山があるのです。(・_・;)
小学校の高学年(5年?6年生?)の時の出会いでした、当時は行者山に降りたと思っていましたが、土地の形状やUFOの大きさから石城山に降りたものと今では確信しています。(^-^)
この時から宇宙人あり!となっております。(^_-)-☆
ちなみに、妻は数年前に真っ赤な火柱が大空に飛んでいく様を石城山頂上のパーキングで見せられました。知合いの石油会社の社長さんも中学時代、帰宅中の夜、下校中に真っ赤な球体が石城山に吸い込まれていく様に遭遇しています。伝説にある「七曲の飛ぶ赤い玉」・・・ですね。
田布施町からの石城山の登山道入り口にある鳥居です。
光市の塩田方面からの登山道もあります。
鳥居には「石城神山」と掲げられています。
頂上までは細い道があり車で登れます。途中で下山中の車と出会うとややこしい事になりますのでご覚悟してください。所々にすれ違う為の空地がありますが、大変です。(~_~;)
車で5分ぐらいで頂上付近の駐車場ですが大型高級車が通る道ではないように思います。
質素な車が賢明ですね。(*^_^*)
頂上の駐車場にある観光用案内図。
頂上では以前はキャンプも出来るような設備がありましたが、今はそれは無いようです。
男女別のトイレは完備されています。
駐車場は広くてきれいです。(^_^)
頂上の駐車場です。
駐車場のすぐそばにある楼門です。茅葺の屋根が面白いですね。
毛利敬親氏の時に再建されたようです。
趣のある入口です。(^-^)
元々は神護寺の楼門、今は石城神社の鳥居の代わり?まぁ、こだわる必要ないですね。(^-^;
楼門から徒歩で数分で石城神社に到着します。
この画像は参道です、舗装はされてませんが整備されていますから歩きやすいです。
雨あがりや雨の時は、高級な靴はやめましょう。
ここでも質素な靴が賢明です。(^-^;
灯篭には電気配線がありますので、儀式がある時などは照明効果もあるのかも?
まずは神社に参拝ですね。
鳥居から見た場合、本殿は横向きです。珍しいですね。
石城山(いわきさん)頂上付近にある石城神社。
石城神社御鎮座の由来
(神護寺さんの縁起とは違います。)
一、祭神 大山祇神 雷神 高寵神
二、鎮座 敏達天皇3年(574)吉備屯倉の津史が当地に来て、「石城官」の勅額を賜ったのが本神社の始まりである。2019年は数えて1445年目にあたります。
正史の記述は、「三代実録」に、清和天皇貞観9年8月16日「壬午」周防国正五位上、石城神、従四位下授けるとあり、旧社格は明治6年郷社に、大正2年県社に列せられた。
明治4年までは近郷八ヶ町村(現田布施町、光市大和地区、室積の一部)が氏子として祭典をなし、その御神徳は多くの人々の尊崇を受けている。とあります。(^_^)
大正15年5月には昭和天皇が皇太子の時に行幸されています。ど田舎のこんな小さな神社に、なぜお詣りされたのでしょう・・・。
三、文化財 本殿重要文化財
本殿は、1469年7月に大内政弘が再建したもので、のち1514年9月大内義興が1656年4月毛利綱広が1789年7月毛利斉房が夫々修復した。1857年8月には毛利敬親が、拝殿と楼門を再建したものである。
本殿は、明治40年(1907)5月27日に、特別保護建造物に指定され、昭和4年(1929)7月1日国宝に、昭和25年(1950)9月29日国の重要文化財の指定をうけた。とあります。(^_^)
石城神社の摂社です。五カ所あります。
摂社とは石城神社とご縁のある社です。
須賀社です。周囲には天皇陛下や皇太子関連の碑がたくさんあります。なぜでしょうか?怪しいの~です。明治天皇?(苦笑)
荒社です。
若宮社です。
宇和奈利社です。
このはなさくや姫が祭ってあります。
このはなさくや姫が祭られています。
高日神社です。
(妙見社)
天之御中主神
(神様の始祖)が祭られています。
石城神社そばの空地です。ここは長州征伐のときにできた第二奇兵隊本陣跡地です。今の山口県対日本国の戦です。そりゃ~勝つ方が無理…でも二度目の長州征伐では勝ったのでした…。
人生何が起きるか分かりませんね。
幕末慶応元年、神護寺に「第二奇兵隊」の本陣が置かれ、翌年に勃発した四境戦争の大島口の戦いにはここから出陣おおいに活躍したのです。
吉田松陰先生の弟子といえば久坂玄瑞、高杉晋作、その高杉が設立した奇兵隊の周防地区の本陣です。
歴史って面白いのは表現が時に変化します。
長州征伐っていう名称は「長州征討」に変わっています。征伐はいかにも悪者退治のイメージですが、征討はそんな感じが消えますね。これも時の政権の忖度?(-_-;)
山口県は「四境戦争」と呼んでいます。4方向から攻められたからですね。
現在跡地は神社の境内の一部となり、岸信介氏作詩の「第二奇兵隊士碑」や佐藤栄作氏の「明治維新百年記念樹」の碑など建っています。
小さな現在の山口県が時の国(幕府)を相手に、勝利しているという結果です。
その時代の県民(長州人)はどんな思いで戦ったのだろう…。多分死を覚悟していたんだろうな~って私は思います。(-_-)
日本人同士の最後の殺し合いですね。(正確には西南戦争が最後ですが…)
まだたったの150年数前の出来事です。考えさせられます…。
戦に正義は無い!って確信するのでした。
今は神護寺跡ですが、明治政府により、神護寺は分離され今は隣の平生町にあります。
神護寺の開祖は高麗国の恵慈和尚です。
神籠石です。左下の水門は東水門。
この水門から排水をしていたんでしょうね。
東西南北にそれぞれあります。
山の上はえぐられた平地もあり、なんと湧き水もあったそうです。
神籠石の東水門の中です。
大人が一人かがみこんで入れる大きさです。
怖くてなかなか入れませんが息子が入って撮影しました。(苦笑)
神籠石
石城山の八合目を列石が延々と取り巻き、谷には水抜きの水門を設けた大規模な遺構がある。これを神籠石と言い、九州北部から瀬戸内海にかけて見られ、現在十四ヶ所の存在が確認されております。この遺構が古代神聖な地域を限るために設けた神域説と、列石の上に土塁または木柵を設けた山城説が並存していたが、昭和38、9年の文化庁、山口県教育委員会、旧大和町の共同による大規模な発掘調査の結果、列石が山城の土塁の基底部であったこと、山城としての門址のあることが確認され、山城説が有力となっています。
しかし、頂上から祭祀場と思われる祭祀用の土器も多く発見されているとのこと…思うに、古代の時期は山の頂上は祭祀場であったが、後に山城として活用した?白村江の戦いで敗れた百済の民。
私は神域説もあり!なぜならUFOが出入していると確信しているからです。この山は間違いなく、かなりのエネルギースポットです。波動の高い土地ですよ。(^-^;
石城山の麓にある「踊る神様」の本部建物です。
背面には石城山の頂上が見れます。
こちらの宗教と山のご縁は不明ですが、それなりに関連していると私は思っています。
教祖さまは「北村サヨ」女史、昭和20年8月12日に宇宙絶対神が降臨したとのことです。正式名称は「天照皇大神宮教」ですが、時代が時代ですから、そのような名称になったようです。伊勢神宮などと無関係です。信者数、世界中で50万人ですから凄い!
この北村サヨさん、素晴らしいのは宗教活動の生業を禁止していることです。サヨさん自身も農業で生活されていました。「わしが金を持ってこいと言ったら離れろ」です。ええですえね~。(^_^)
石城山を神山と崇める「神道天行居」の資料を入手しました。友清歓真(ともきよ よしさね)氏の創始。
古神道系、ユダヤ陰謀論を信じ、霊的国防を唱えているようです。
昭和2年11月21日啓示により、石城山を聖地とされたようです。頂上付近に日本神社を建立されています。
私はこちらの宗教とは関連がありませんが、やはり何らかのパワーを感じ取られたのでしょうから、友清氏もやるな~って思うのです。(^_^)
画像右側の大鳥居は、トラック事故で壊れてしまいました。復元するのにどっちが表側入り口?とかなんとかで、もめたようで、復元されないままとなっております。
神道天行居の日本神社です。石城山の山頂付近に建っています。関連の社もまだたくさん建っています。
日本神社の中です。たまたま何かの儀式の時に撮れました。
日頃は閉じています。
田布施からの登山道入口にある鳥居。
鳥居の上の表札には
「石城神山」
光市(元、大和町)からの登山道入口にあるモニュメント。
「石城山神籠石」
どっちから登山してもええですが、私は気に入った方から登るようにしています。
ただし、道幅は本当に車が一台通るだけ、対向車が来た時はドキッとします!
景色が良いのは田布施方面から!道幅が少し広くてすれ違いも容易いのは光方面から!
飛鳥時代には山の麓は海だったようです。どちらが表玄関なのか不明ですが、田布施側が南に向いています。きっと大海原に横たわる山だったのでしょう。
つづく
すそいおん → 音がもつれた紐を解く、技があればもっと良い